ドン・ボスコの教育
1. はじめに
「教育は、心の問題である」とドン・ボスコは言った。教育は、金銭や組織だけではなく、心をこめて献身的に働く人によって成り立つ、という意味である。
ドン・ボスコにとって、教育の基本は「愛情、道理、信仰」である。そして彼自身、自分の教育を「予防教育法」と名付けた。この言葉の深い意味を正しく理解する必要がある。
2. 予防教育法
2-1. 予防医学と予防教育
現代の私たちは「予防医学」ということばをよく耳にするが、「予防教育」についてはあまり聞かない。それを聞くと、生徒を悪い影響から守るような、または温室育ちのような、消極的な教育を連想する人がいるかもしれない。広辞苑で「予防」を引いてみるとまず例として「予防医学」が挙げられ、「個人もしくは集団を対象として、健康保持、疾病予防の方策を研究、実践する医学の一分野←→治療医学」と説明されている。「治療医学」が病気を治すのに、「予防医学」は「健康保持の方策の研究と実践」を第一の目的とするのである。ここで言う「予防」とは、積極的な意味があるのである。「後始末」をする必要がないように、「前始末!」をするのである。
ドン・ボスコの唱えた「予防教育」も同じような意味をもつ。世の中の悪い影響から若者を守る必要があることを彼も十分に承知しているが、人間作りにはそれだけでは足りない。1841年、神父になったばかりのドン・ボスコはトリノの刑務所や「Generala」という感化院を訪ね、収容されている若者の哀れな状態を見た。そこから「予防教育」の必要性を感じたであろう。1854年、ラタッツィ内務大臣と会談した時、「予防教育」についてはっきりした意見を述べた。国の施設の「治療教育」に対して、ドン・ボスコは「予防教育」を提唱した。若者が問題を起こしてからでは、遅すぎる。経験が示すように、不良少年を更生させるのは大変な骨折りなのだ、と。
ドン・ボスコはトリノのジェネラーラ感化院ですばらしい実績を上げたが、同時にこの仕事の限界も知った。その苦労を避けるためには前もって青少年を健全に育てることこそ大切なのだと悟ったのである。
2-2. 内面を重視する
ドン・ボスコにとって「予防教育」の反対語は「治療教育」ではなく「禁圧的教育」である。そもそも、教育における失敗の第一の原因は、生徒の人間性を無視する禁圧的な教育にある。人間は弱いものだが、心の中に善を理解し、それに向かう力を持っている。もしその自由を無視され、上から強制されるならば、反発することになり、善に向かう心をも捨ててしまう危険がある。押しつけや強制では、積極的な人間は育てられない。教育者は、常に生徒の心に訴えるべきである。宗教者なら、なおさら人間の内的な力を信じ、強制を避けねばならない。
「予防教育」は、生徒を健全に育てることを狙う。予防医学が健康を育て、抵抗力を強めるように、予防教育は精神の機能を育て強化する。身体が内部から強化されるように、心も内部から「道理と信仰」によって強化される。生徒の心の中にしっかりした考え方、信念、世界観を作らねばならない。そうでなければ、立派な人間(ドン・ボスコは「よい市民、よいキリスト者」と言う)の育成を期待することはできないであろう。
2-3. 道理を諭す
もちろん、人間には規則も必要である。規則にはそれを定める理由があり、生徒は理由さえ分かれば、自分から進んでそれを守る。でなければ、ただ人を真似したり、人の言いなりに従ったり、あるいは自分勝手に行動するのである。教育者は、常に生徒に「理」を悟らせ、それを通さねばならない。これが、ドン・ボスコの言う「道理」である。
2-4. 信仰へと導く
もう一つ必要なのは、人生の意味づけや理想を持つことである。それがないと、正しい事が分かっていても、都合がわるいとき理を曲げたり、なまけたりする。言い換えれば、「信仰」または「信念」が必要である。人を動かすのは「信念」である。信念のない人は、一貫した行動がとれず、環境や欲望に動かされやすい。したがって、教育の一番大切な、一番難しいところは、信念を育てること、生きる意味を悟らせることである。ドン・ボスコは、カトリックの神父で、カトリックの国のために話したから、信念を「信仰」と呼ぶ。日本では、人生観や世界観と呼ぶであろう。戦前のような国家主義的な考え方も一つの信念であったであろう。それはともかく、もしも信仰や信念がなければ、生徒を悟らせるために何を使うのであろうか。損得か、処罰か。しかし、これでは真の教育はできない。
1880年12月20日、ドン・ボスコは次のようなエピソ-ドを語っている。
- 数年前に、英国女王の外務大臣パルマーストン師Lord Palmerstonは、午前10時から午後6時までドン・ボスコの寄宿舎を見学し、そこで数百人の生徒たちが自発的に規則正しく行動しているのを見て感心した。そして、罰が使われていないことを聞いて、「なるほど! なるほど! 宗教か棒か! ロンドンに帰ってこの話を伝えよう!」と言った - と。この大臣は、カトリック教会の反対者としてよく知られている人物であった。
2-5. 共にいること=アシステンツァと愛情
しかし、以上のことが実行できるには、もう一つ欠かせないものがある。それは、教師と生徒との心が通い合うことである。これはドン・ボスコが言う「愛情」のことである。愛情は一方的で、独占的で、甘やかしであってはならない。もしも本当の愛情があれば、道理も信仰も通じるはずである、とドン・ボスコは言う。
さらに彼は言う。「子供を愛するだけでは足りない。子供は、自分が愛されていることを感じないといけない」と。サレジオ会では「Assistenza(伊)アシステンツァ」という言葉をよく使うが、これは「共にいること」を意味する。教育の場合、主役は教師ではなく、子供自身なのである。教師は、生徒と付き合いながら、その生活に参加したり、助言したり、見守ったりする。「共にいる」ことによって心が通い合う。親子の場合や師弟の場合も「共にいる」ことが教育の基本である。日常生活の付き合いがなければ、いくらすばらしいことを話しても通じないであろう。もし子供の心の中に不信感や拒絶反応が生まれたら、教育は始まらない。
2-6. 「愛情・道理・信仰」
結局、ドン・ボスコにとり、教育とは、教師と生徒との円滑な人間関係を前提とし、愛情、道理、信仰に基づくものである。これらによってのみ、生徒らに正しいことを納得させ、彼等を実行へ導くことができる。そのため、まず、教育者自身がしっかりした考え方と信念を持ち、生活の手本を通してそれを示さなければならない。実生活の証しがなければ、教育は成立しない。
以上の予防教育法の理解を深めるために、次の基本的な文献(ドン・ボスコの著作)を勧める。
●「青少年教育における予防教育法」
●「オラトリオの状態について - ドン・ボスコの手紙 -」
●「教育の福音 若者の父ドン・ボスコ」
3. ローマからの手紙 (ドン・ボスコの大事な文献、オラトリオの状態についてのローマからの手紙)
トリノのドン・ボスコの最初の事業は「オラトリオ」と呼ばれる。はじめは教会学校のようなものだったが、次第に寮も全日制学校も加わり、総合的な教育事業となった。オラトリオという語は、ラテン語の「Orare祈ること」から来るが、実際は、祈りの場だけでなく、リクリエ-ション、勉学やあらゆる教育活動の場であった。
1884年5月10日、ドン・ボスコは仕事のために1ヶ月以上ロ-マに滞在したが、忙しい中でも夢の中で生徒たちを見ていたという。彼はその夢に現実性と教訓とがあり、記録すべきだと考えたが、目を患っていたため、秘書にそれを書かせ、その内容を確認してからサインを添えた。この手紙はトリノで教師や生徒の前で読まれ、一同に深い感銘を与えたという。
「ローマからの手紙」は、分かりやすく「ASSISTENZA = 共にいること」と「愛情」の関係を説明し、彼の教育法の神髄と魂を明かしている。
ドン・ボスコが言いたいのは、人間関係がない所に教育は存在しない、ということである。これこそ、今の日本の学校での基本的な問題である。学校では、学級担任や部活顧問は最も教育的な立場に置かれているが、雑務のために生徒と付き合えないことがある。もしも彼らがアシステンツァの意味を真に理解すれば、教育の多くの問題は解決されるだろう。
ドン・ボスコはあまり大規模な学校を好まない。その場合、個人的な付き合いができるように、学校を幾つかの機能的な単位にわけるしかないであろう。
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